2019年6月3日。訃報が競馬界を駆け巡りました・・・シルクジャスティス死去。
シルクジャスティスを振り返る
97年のクラシック世代としてサニーブライアンやメジロブライトとともに人気を博した一頭です。
京都4歳特別を制して挑んだダービーでは評論家の井崎脩五郎さんがやたらと押してた気がします。サニーブライアン、メジロブライト、シルクライトニングの影に隠れて人気薄になるからねらい目だと・・・実際は3番人気でしたが。
ダービーで2着したあとのジャスティスは秋緒戦の神戸新聞杯で惨敗するものの2戦目の京都大賞典で古馬相手に勝利。今見るとメンバーはダンスパートナーぐらいでやや手薄ですがそれでも古馬相手に勝ったんだとビックリしたものです。
秋のG1戦線は菊花賞、ジャパンカップと良い脚を使いながら掲示板まで。特にジャパンカップではメンバー最速の上がりをマークするなど、敗れながらも今後を期待する人も多かったんじゃないでしょうか。
迎えた有馬記念は、直線マーベラスサンデーとエアグルーヴを捉えて見事初G1制覇を達成。3歳(旧4歳)での初G1制覇が有馬記念となりました。昨年(2018年)の有馬記念でブラストワンピースが3歳馬ながら有馬記念を制した際にしくジャスティスのことを思い出した人もけっこういたと思います。
シルクジャスティスとエリモダンディー
明けて古馬となったシルクジャスティスですが阪神大賞典はメジロブライトの2着と健闘したものの天皇賞春は4着、宝塚記念は6着と精細を欠きます。
有名な話ですがこの年の2月に同じ厩舎のエリモダンディーが亡くなっていて、このことが影響しているとするファンも多いんですよね。
馬体が小さくて他の馬にいじめられていたエリモダンディーのことをシルクジャスティスが守ってやっていて、ダンディーはジャスティスのことを兄貴分みたいに慕っていたと・・・
ダンディーも京阪杯や日経新春杯を制するほどの実力があり、ジャスティスの併せ馬のパートナーとしてジャスティスの活躍に一役買っていました。調教を嫌がるジャスティスもダンディーと併せ馬をする時は真剣に走っていたとか。
それがダンディーは骨折がきっかけで腸捻転を発症し亡くなってしまった・・・ジャスティスが勝てなくなったことと全く関係無い訳では無いでしょう。
引退後のジャスティス
その後は1度も勝てず、2000年の金鯱賞を最後に引退。
種牡馬入りした後はそれほど活躍馬を出せず・・・種牡馬引退後の2010年にバシケーンが中山大障害を制してG1ウイナーとなっています。
バシケーンは福島に居て会いに行ったこともあるので興味があったらご覧ください。
在りし日のシルクジャスティス
実はシルクジャスティスが亡くなる少し前に会いに行っていました。
このときは、これが最後になるなんて思ってもみなかったのですが・・・
一心不乱に草をはむシルクジャスティス。
声をかけてもずーっと草を食べ続けていました。
ズームにして撮影。相変わらず食事に夢中・・・
少し近くに来てくれたジャスティス。でもこちらに興味があるわけじゃなくて草を食べる場所を移動しただけ。
すごい食欲で草を食べ続けてたから、こんなことになるなんて思わなかったんですよね・・・
どうぞ安らかに。あちらでエリモダンディーと仲良くやってください・・・
同期のセイリューオーにも会いに行きました。
引退名馬に掲載された畠山牧場の畠山史人氏からコメント
★元競走馬・引退名馬めぐりをしています↓